引きこもりがなおったきっかけ

私の引きこもりがなおったきっかけはぬいぐるみだ。

うにまめ号がいなかったときは、超引きこもりだった。主婦のくせに土日のどちらかしか外に出ない。出ても買い物してすぐに家に戻るという、一生家の中で暮らしていくのかってぐらい引きこもってた。

引きこもって木彫りをしたり、人形をつくったり、アクセサリーをつくったり、ゲームしたり映画見たり、色んな趣味を見つけては、飽きてやめて寝て、このままじゃダメだと、また新しい趣味を見つけて、の繰り返し。このまま朽ちてもいいか、と思っていたけど、まだなんかしたいな、とは思っていた。なんかしなくちゃな、とも思ってた。でもそのまま朽ちてもいいか、とも。引きこもってるけど趣味があるからまだ大丈夫。って自分を甘やかして日々を過ごしていた。

うにまめ号がきてから、散歩に出かけるようになった。うにまめ号の様子をインスタグラムにあげるようになり、フォロワーが増え、うにまめ号の写真を楽しみにしてくれる人がいる。それだけで私は外に出かけ、うにまめ号のカワイイ写真を撮ろうとするようになった。

いいことだ。そうすると、いろんなものが目につくようになる。面白いものがいっぱいある。この面白いものを、どうやって面白いように写真に撮ったら皆に面白さが伝わるのか。写真の本を買って勉強するようになった。

そしてインスタグラムを熱心に見るようになった。みんな素敵な写真を撮っていて、自分の写真が稚拙だということもイヤというほど知った。

写真に限らず、ラインスタンプとか、文章とか、ほんとにいろいろ見るようになって、世界は広くなったように感じるけど、それと比例して私の劣等感は大きくもなった。人目についてないけど、こいつすげえなぁって思う人がたくさんいる。私からみたら天才じゃんって思うのに、あんまり有名でなかったり。こんなに素敵なのにプロと呼ばれる写真家は一握りしかいないなんて、それもまたすごい世界だなぁとも思う。プロってどんだけすごいんだよ。それに比べると自分は何も大したことないのに、分かったような気になって天狗になっていて、恥ずかしい。

そんな風に自分の存在をちょっとずつ客観的に見ることができるようになって自分の恥ずかしいところも受け入れることができて、まともな精神になっているような気がする。

そして、そういう才能がうじゃうじゃ溢れている世界に、入っていこうとする自分に少しわくわくする。勉強して、限界まで成長してみたいとも思っている。

面白いものがないかな、と思って街を歩くと面白いものがみつかる。

普段なら気にかけない小さな勝手口のドアも、にまめ号を立たせただけで小人のドアみたい。

切り株があったらやっぱりポーズを取らせたくなるよね。ぬい撮りステージだ。

木登りをさせてみたい!

と思って撮った写真は、木の根元に寄りかからせて上から撮っただけでほんとに木登りしているように見える。

遠近法だね。写真て面白い!

ガチャガチャ、ちょっと欲しかった。

ど根性っぷりが面白かった地面。角度によって背景に壁が写ったり雑草が写ったり、どうやって撮ったらいいのかわからなかった。これが正解なのか、未だにわからない。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です