ぬい撮りインスタとコメント

ねこのぬいぐるみと共に散歩し、写真を撮り、ぬい撮りと呼ばれるものをはじめてインスタに投稿しはじめてもう少しで1年。なかなか長続きしている趣味だと思う。

おでかけだー

ぬい撮りがきっかけで多少は外に出歩くようになった。寒い日や暑い日は相変わらず引きこもりだけれど。前みたいに買い物以外は外に出ず、世の中に存在していても存在していなくても同じような人間として生活している日々よりは、少しはまっとうに外出していると思われる。まあ今でも存在していても存在していなくても世間からみれば大して変わらない。結局のところ、私と世間の接点は、インスタというあやふやな電子媒体を介してのみでしかなく、電気信号の中でしか存在していない人間といっても過言ではない。 生身の人間として存在を認識されるのは、オットと会話する時だけ。
電気が消えスマホが無くなれば私という存在もまた消え去る。私の存在とAIと何が違うのかさっぱり分からない脆い存在である。

友部サービスエリアのチューズ公

それでも、今現在はみんなスマホを持っているし、インスタの中では認識されているので、存在していることには違いない。ぬい撮りしかやってないインスタでも300人を超えるフォロワーがついた。
自分的にはスゴイと思っている。ぬい撮り始める前は20人とかだったような気がする。友達少ないし。引きこもりだし。陰キャだし。
まあその300人が私の写真を熱望してくれているかというと、そうでもないと思うが、投稿すれば楽しんでくれているのではないかと。楽しんでくれていると嬉しいなあ。頼む楽しんでいてくれ。と思っている。実際見ていない人もいるだろうしね、そこらへんはフォロワーじゃないとわからない。

大洗磯前神社の梅。境内で一番やさしい空気を醸し出していた

だが何割かは楽しんでくれているというのは感じる。その証拠にコメントもいただく。 自分の時間を割いて までコメントしてくれるなんて、私の投稿に興味が無ければしないはずだ。多分。私のいいねやフォロー目当てだとしても、やっぱりコメントしてくれるのは、すごいことだ。
私は、他の方のインスタを見てコメントしようと思っても、コメント欄にすでに同じような事を書かれていたら、同じコメントしても面白くないし、コメントもらった方も同じ事書かれて困っちゃうかな、とか。
単純にスゴイ素敵!という事を伝えたいだけなんだけど、一言だけしかコメントするぐらいならわざわざコメントしなくてもいいかな、とか。
色々考えて躊躇してしまうので、気軽にコメントを書ける人を尊敬してしまう。
ああ、なんでこんな余計な事を考えるよになってしまったんだろう。
思うに人に好かれたいが過ぎるために、このようなぐるぐるネガティブ思考に陥っているのだけど、たかだかコメントごときで考え込んでしまうので生きづらいったらない。

大洗磯前神社の大きい鳥居の足元

それでも頑張ってコメントする時がある。その人の撮る写真が好きな時はがんばる。ちゃんと見てるよ!あなたの撮る写真が好きですよ!いいねやコメントが少なくても続けて欲しいです!って時にコメントする。張り合いがなくてやめちゃおうかな、とか思われたら悲しいので、微力ながら応援したい。たとえ誰もみたいなくても私はずっと見ていたいから私のためだけにも写真を撮り続けていてほしい。とかいうワガママ全開の気持ちをこめてコメントする。

海風にさらされて風化した室外機

ぬい撮りでも好みがあって自分でも基準が分からないけど、雑な写真だけどほんと大好き!って写真もあるし、きれいだけどそれだけ、って写真もある。ピントのズレも許容できるものと、なんでこれをアップした?ってなる写真もある。私がフォローしている人の中でも投稿されているとテンションがあがってニコニコ見ちゃう写真と、そうでもない写真がある。その差は自分でも分からないけど、そういうのが相性っていうんだろう。なので、私の写真が下手くそでも好きだっていってくれる人のためにインスタを続けていこうと思います。
そして相性のいい写真にはできるだけ積極的に関わっていきたいな、っていうのを今年の目標にしたいです。

大洗磯前神社の階段
階段のぼったとこ
福の神さまたち