軽い気持ちで占い師になりたくなった

前に買っただけでずっと家に置いてあった岩波文庫の易経の本を売ってしまおうかな、その前にちょっと読んでみようかな、と思ったのをきっかけに易経を読み始めた。

私の人生において易経なんて言葉は出てきた試しがない。易経というものの知識がどれぐらいかというと、易経が易占いだということも知らんかったぐらいだ。
なんでうちにそんな本があったかというと、ブログだかメルマガだかで易経を読みなさいというようなことが書かれてあって、そんじゃ読んでみるかって買ったは良いけどそのまま放置していたにすぎず、流れっていうか勢いでうちにやってきた本なのだ。
その本が数年の時を経て、またもや気まぐれで読まれることになるとは私自身予想していなかったことでびっくりだ。

さて、ページを開いてみたはいいが、読み仮名も分からず言葉の意味もわからず日本語なのにちょっと何言ってんのか分かんないって状態が続いて、さてどうしたものか、とネットで調べながら少しずつ読み進めていくうちに、易経は易占いだということに気付いた。
易経を読めば占いができるのか。前に占い師に向いてるって言われたな。常々何か人の役に立てる仕事をしたいと考えていたけど、これか!?
という三段論法で占い師になろうと、軽く決意してみる。

ネットで調べたりしているうちに、なんでも当てられるという人のホームページを見つけてTwitterをも見つけた。この人の動向を見てみようとTwitterを開設してフォローしてみた。これから起こることについて書かれる占いの結果をみて、信用に足る人なら弟子入りして教えてもらいたい、と考えたのだ。私自身はまだ易経の解説30ページも読んでいなくて、易経の何足るかも知らんし、何が分からないかも分からない状態だけど、易経だけの知識や技術だけじゃなくて、どんな人なのか知った上でアクションを起こそうと思った。

そんで私は、といえば岩波文庫の易経を読み進めてはいるものの1日に数ページが関の山で、その上内容も理解し難いものなので、まずは簡単な入門書を読んで大まかに理解してから読み返そうと、易経関係の本をAmazonで調べて、それなりに評判が良くてメルカリですぐ手に入る本を買った。が、岩波文庫の本に比べて解説が少なすぎな上、その人独自の解釈しか書いてなくて、易経を読みたかった私にとって想像していた内容と全然違かった。易経を頭からケツまで読む必要なんてないといわんばかりの占い本にびっくりしてTwitterで呟いたら、なんか親切な人から初心者にはこの本がいいですよ、というアドバイスをいただいた。
ずいぶん親切な人だな、と思ってフォローしていたが、その人の呟きを見ていると、
その本はクズだからその本を有り難がっているお前もダメだ、みたいなコメントをちらほらとみかけ、なんだか違和感を感じ始めた。
例え、その人の言うことが正解であったとしても言い方ひとつで受け取る側の気持ちは変わる。受け止めるべきものを受け止めてもらえない上、人を嫌な気分にさせるなんて悪意を撒き散らしているのと変わらない。知識があっても、人として尊敬できない人と関わりあいになりたくない。
その人のフォローするのをやめるだけでもいいかな、と思ったけど、フォロワーでもあって、なんかそういう人と繋がっていたくないなと思ったので、Twitterを数日で閉鎖してしまった。
こんな弱い心で占い師になんかなれるんだろうか。占いにくる人はそういった周りを下にしか見ない人や人の話を聞かないような人たちもくるだろう。そういった人たちに対して、お帰りください、というのか気持ちのこもらない上っ面だけの気持ちよくなるためだけの言葉を吐くのか、あえて苦言を呈して反感をかうのがいいのか。その人にとっての幸せの道を私は占えるようになれるんだろうか。
と、本を一冊も読み終わってないうちからドンヨリしたりして。
忘れないように書いておくけど、私が思う占いって、その人のその後の人生を豊かにするためのもの、と思っている。今の時点でその人にとってベストな道を、占いという媒体を通して伝えるイメージ。占い師は目に見えない意志からの橋渡し役というか通訳のようなものかな、と。まあこんなことは占いできるようになってからほざけってね。

気になる占い師の方のTwitterは黙ってチェックして、私は独学で少しずつ進めることにします。

水天需

文字だけだと覚えられないのでお絵描きしながら覚えていくよ。

易占

Posted by yukari